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名古屋高等裁判所 昭和37年(ネ)270号 判決

控訴人(申請人) 土元三男

被控訴人(被申請人) 滝上工業株式会社

主文

原判決を取消す。

本件を名古屋地方裁判所に差戻す。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴人に対して昭和三十七年二月十七日付で言渡した解雇の効力を、控訴人が被控訴人に対して追つて提出する解雇無効確認等の訴の本案判決確定に至る迄停止する。被控訴人は控訴人に対して昭和三十七年二月十八日以降前記解雇無効確認等の訴の本案判決確定に至る迄一カ月金一五、二一二円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、左記に附加する外原判決摘示事実と同一であるから、ここにこれを引用する。

(一)  控訴代理人の主張

第一、総論

一、法定代理人の同意を得て労働契約を締結した未成年者は当該労働契約に関しては成年者と同一の能力を有するものと解さなければ、不合理な法律的結果を生む。

1 法定代理人の許を離れて労働している未成年者は、自給自足の生活をしているのではないから部屋借りもしなければならないし、新聞紙の購読もするであろう。この種の日常生活に伴う幾多の法律行為は、未成年なるために取消すことが出来るものと解するとこれ等の法律行為の相手方の地位は不安定なものとなる。又未成年者もこれ等の法律行為は取消し得べき行為であるとの意思をもつて為すのではないのが通例である。これ等の法律行為が取消さるべきものでないとする法的根拠は民法第五条によるとすると、随分廻りくどい法律の適用と言わなければならない。

2 未成年労働者が、労働組合に加入している場合、組合役員の選挙、使用者と組合役員との交渉に際しては如何なる事態が生れるであろうか。未成年者のみの構成の労働組合で、組合役員を選出したとすると、使用者が、団体交渉の場合に組合の役員は未成年者の役員選出につき法定代理人の同意を得ていないから有効な役員ではなく団体交渉に於て組合を代表する資格がないと主張したらその結果は如何になるであろうか。未成年労働者の組合役員選出行為の有効性の法的根拠を何処に求めたらよいだろうか。

二、労働基準法第五十八条及び同第五十九条によれば、未成年労働者を訴訟無能力とすることは違法である。

1 同法第五十八条によれば、法定代理人は未成年者の労働契約締結に同意するか否かを決定する権限をもつのみで、労働契約締結後労働契約に介入し得るのは、同条第二項の場合に限定される趣旨と解され、未成年労働者が労働契約の解約の申入をする(民法第六二七条により)にも法定代理人の同意を必要とするものではないし、又使用者が未成年労働者を解雇する場合にも民法第九八条に反して使用者は未成年者に対して解雇の意思表示をすれば足りるものと解される。

現実に労使双方の未成年者の労働契約解約の申入は法定代理人によつて又法定代理人に対して為されていない。労働契約の運命が一切未成年労働者の意思に任されているにも拘らず労働契約の存否等に関して成年者と同一の能力を認めないことは条理上許さるべきではない。

2 労働基準法第五十九条は、当然の事理を注意的に規定したものである。労働契約締結の権限がないならば、法定代理人は労働契約の当事者ではない。労働契約に於て未成年労働者は労務提供については債務者であり、賃金請求については債権者である。

法定代理人は同法第五十八条第一項により使用者に対して未成年者の賃金請求の債権者ではないことは自明の理である。

従つて未成年労働者に賃金請求権があることの規定は労働契約に関しては未成年者独自に法律行為を為し得ることを認める一の例示というべきものである。

三、船員法第八十四条第二項は船員法の適用を受ける以外の労働者にも準用されなければならない。

船員法の雇入契約は、労働契約と異質のものではない。労務の提供と賃金の支払を何れもその本質とするものである。雇入契約に於いては成年者とし、労働契約に於いてはそうでないとする格別の理由を見出せない。船員には、外国に於ける訴訟提起ということが特別扱いにする口実となるかも知れないが、航空路線の発達した現在に於いてかような理由は首肯できない。憲法に於いても法の下における平等を唱つている。雇入契約と労働契約において未成年者を差別する解釈は納得できない。

四、民法第九十八条により使用者が未成年労働者の解雇通知をその法定代理人に対して為すことは殆んどない。又未成年労働者の労働契約の解約申入を法定代理人がすることも殆んどない。この事実は社会通念に於て法定代理人の同意を得て労働契約を締結した場合、当該労働契約に関しては未成年者も成年者と同一の取扱をされているという法的確信が存在することを物語つているのである。

五、未成年労働者に訴訟能力を認めないことは、未成年労働者保護にならずに使用者保護になる。

1 具体的実例

原判決の引用した名古屋高等裁判所昭和三五年(ラ)第一七七号事件は、未成年労働者の退社届を未成年者の父親が未成年労働者の名にて使用者に提出した結果、未成年労働者と使用者との間の労働契約の有効性についての仮処分申請事件である。未成年労働者に訴訟能力がないとすると、未成年者が成年に達する迄訴訟を待たねばならない。或は原判決が言うが如く親権喪失の宣言の請求ということも考えられるが、手間、暇がかかつて未成年労働者は困惑するであろう。泣く子もほつておくと黙るということがある。解雇無効だとわめく未成年労働者も、訴訟に法定代理人の同意がなければ、裁判を求める訳にはいかぬとなれば、成年者になる二年、三年の間には泣きやむだろう。使用者は一片の解雇通知で未成年労働者の解雇の不満の口をふさぐことができる。しかもその口実には、自己の利益ではなく、未成年の保護のために訴訟能力がないということが言い得る。

2 法定代理人の権利の濫用について、

使用者は、労働契約について未成年労働者の口を封じたい慾望に燃えていることは否定できないところ、必要の前に法則なしということもある。

未成年労働者が訴を起さないようにする為に使用者は手段を選ばぬだろう。人間は富貴や権力を握るとそれにより理性や知性がくもつていくというのが通常の例である。「偉なるかな顔回」という孔子の賞讃の辞に値する人間は少い。涜職の罪にしても、公職選挙法違反事件にしても大臣や国の最高機関の構成員が起訴されている。未成年労働者の法定代理人が使用者の策謀にかかつて、未成年者の訴訟提起に同意しないという事態になることは想像されないことはない。親が子を喰い物にする方法は、考えれば公職選挙法による選挙のやり方と同様に巧妙な手が考え出される。賃金等の目に見えるものによる喰い方と目に見えないもつと有効なやり方での喰い方がある。

特に最近では法定代理人と未成年労働者の年令、時代の相違による思想の距りがある。未成年労働者が所謂「アカ」になることを法定代理人は心配するだろう。「アカ」の息子や娘を持つた親は、自分自身の出世の妨げになるのではないかと悩む場合もあろうし、「アカ」の兄弟姉妹の結婚や就職にも障りが起きるではないかと憂うるのであろう。まして訴訟提起に同意するにおいては一層の非難を受けるかも知れないと考える。法定代理人に使用者から策謀が為される。未成年労働者の訴訟提起に同意は遂に与えられないこととなる。思想、信条の自由は憲法に確保されているにも拘わらず、未成年労働者が「アカ」という理由で解雇される場合が多い。未成年労働者が訴訟で解雇の効力を争えないこととなると、憲法の個人の尊重の規定も空文ということになる。権利の濫用は異例のことだとしても、人間の善意のみを信じていれば、法律は不必要である。

三権分立の制度にしても、民事訴訟法にしろ刑事訴訟法にしろ制度として権力や権利の濫用を防ぐ制度であることを想起すべきである。

3 未成年労働者に訴訟能力を認めることは、未成年保護の観点から民事訴訟法上認められないとの考え方に対する見解について、

(イ) 労働契約に関しては法定代理人は全然現実的知識がない。

(ロ) 法定代理人は民事訴訟法の知識がないのが十中八・九の事例

(ハ) 訴訟の遂行は、本人が訴を提起するか、上訴するか和解するか又は示談解決するかを決めることが通常の事例であり、現実の民事訴訟は弁護士の代理人によつて行われるのが大半である。「この事件は難しいから弁護士に頼んだらどうか」と当事者本人に親切な言葉をかける裁判官を見受ける。

法律の知識がなく、労働契約に関する争いの実情を知らない法定代理人が未成年者に代つて訴訟を遂行することが、如何なる点に未成年者保護となるのか皆目分らない。未成年者は訴訟遂行の運命を最終的に決定する意思能力があれば、未成年者に訴訟能力を認めても不利益にならない。所謂松川事件においても複雑な事案について未成年者が被告人として攻撃防禦の行為をしているのである。

以上(イ)、(ロ)、(ハ)から未成年者の訴訟能力を認めないことは不合理であり、未成年者を保護することにはならない。

六、未成年者が結婚するには父母の同意を得なければならないが、結婚した未成年者は成年に達したものとみなされる。この規定の理由は、婚姻の独立、夫婦の平等を完全に実現するためであると考えられる。法定代理人の同意を得て労働契約を締結した未成年者も、労資対等の地位の確保のため、法定代理人の監護及び教育を受けずに独立した生活を営んでいるのを保護するために労働契約に関しては成年者とみなしても支障がない。結婚には結婚届という形式で外部に明認されるが、労働契約についても労働締結が外部に明認されるのであつて、第三者に未成年労働者の行為能力を認めることにより損害を受けない。

七、民法第六条第一項の営業概念は、同法第八二三条、第八五七条の職業概念より狭いから、職業の許可を受けたから直ちに民法第六条の営業の許可を受けたということができないという論議には賛成できない。営業にしろ、職業にしろ、未成年者が独立して自己の責任において社会的に活動することであり、然も営業以外の職業の概念は雇傭契約又は之に類似する契約に基いて為される職業であるということができる。かかる場合は、営業と異り投機性を欠き、賃金と労働力との単純な交換である。従つて未成年者が不測の損害を受けることは殆んどなく、また相手方或は第三者が損害を受けることも殆んどなく、未成年者の職業と営業を区別する実効がない。

第二、労基法第五八条論

一、原判決が引用する東大労働法研究会労働判例研究、ジュリスト第二四三号八六頁も「労働基準法第五八条一項の規定の文言から、積極的に未成年者の訴訟能力を引き出すことはできないことからやはり本件の判旨に賛成する。」(傍点控訴人代理人)と言つているだけであり、文理的にも反対の解釈が成立し得る余地を充分に認めているのである。

二、次に原判決の無能力者制度に対する理解の前近代性が指摘されなければならない。原判決は金科玉条の如く民法の無能力者保護の制度を揚言するが民法の無能力者保護の制度はこと貧乏人たる未成年者に対しては真の意味での保護の役割を果し得なくなつていることを原判決は一度でも考えたのであろうか。民法の無能力者保護の制度が精神能力の不完全な有産者保護の為の制度であり、無産の未成年者がみずからの力で生活の糧を獲得するための法律行為をなすに当つては、ほとんど実益のない制度であることに原判決は一度でも思いを至したであろうか(我妻栄「民法総則民法講義」I五五頁乃至五七頁、東大労働法研究会「労働判例研究」ジュリスト第一九七号八八頁参照)。

三、権利濫用は一般的には信義則上例外の場合であろう(民法第一条)。然し乍らことがらは民法第一条の解釈の問題ではなく労基法第五八条の解釈論である。そしてそこでは正に親権の濫用が真剣に憂られているのであつて親権濫用が原則的なものと前提されてその対策が論じられている。その解釈論に於て親権濫用は異常の場合と前提することは労基法第五八条の論理構造に相容れない異質の論理を持込むものであり、原判決の致命的の欠陥の第一点はここにある。未成年者の訴訟能力を考えるに当つての正しい最初の足がかりは民法第一条にもかかわらず労基法五八条がこと未成年者の労働契約の締結に関する限り親権濫用の原則性を肯定していることの正しい把握に求められるべきである。正にそこでは例外が原則化しているのであつてこの事の正しい理解をよそにした立論は全て失当と言う他はない。

四、労基法第五八条の立法趣旨は次のとおりである。

「わが国における年少者の労働に伴う弊害の典型的なものとして、親が子に代り子の知らぬ間に使用者と契約を締結し多くの場合、親はその際使用者から前借をし、これを子が働いて得べき賃金と相殺することを認めたり、あるいは使用者が親の依頼を受けて子に賃金を支払うことなく親に送金するような事例が多くみられた。しかも年少者は容易に労働契約を解除できず、不当な労働条件のもとに、長期間労働せざるを得ない状況にあつた。しこうして一般社会慣習の上からはこれを親孝行として美化し、法律の上からは親権の作用としてこれを合法化してきた。しかし親権の認められるのは子供の利益及び社会の利益のためであることはいう迄もないところであり右の如き年少者の労働契約の締結のために親権を行使することは明らかに親権の濫用であるがこれを防止すべき労働法規は存してはいなかつた。」欠陥を補う為である(労働省労働基準局編著「労働基準法」下六三〇頁参照)。

五、原判決の特徴的な誤りの第二は原判決が実体的な権利関係の訴訟的実現の観点、換言すれば私法と民事訴訟の関係を全く無視していることである。兼子一「民事訴訟法」(一)有斐閣四頁が言うように「権利義務とは、私人間の生活関係を強制的に規律する具体的な法規範を意味するものでこれは究極的には国家の公権的判断である裁判に基いて一義的に決定されることによつてその実在性が与えられる」のであつて私法的な権利の保障と訴訟追行権の保障とは密接不可分のものである。親権濫用の故に労基法第五八条によつて実体法的側面に於て権限を制限されているものが私法的権利の実現過程としての訴訟追行的側面(訴訟法)に於ては制限された権限を復活すると考えるのは言われのない独断であり、労基法第五八条による制限にも拘らず民事訴訟法第四九条但書の適用を受けないと解するのは法体系に於ける矛盾を肯定することに他ならない。然し乍ら現行法体系にはその様な矛盾は存しない。

実体的な権利行使の面で親権濫用が憂いられなければならない者は訴訟追行の面でも同様の濫用(具体的には使用者とのなれ合いによる訴不提起若しくは子の意思に反する形での訴訟追行面におけるサボタージュ等)が懸念警戒さるべきである。重ねて言う。子を食い物にする親でも訴訟だけは子の為に本気になつてやるだろうと言う保障は全くないし、我が国の法律には実体法に於ては権利を制限され乍ら訴訟法に於ては制限された権限を復活すると言う法の矛盾は存しないと解すべきである。

六、原判決は民事訴訟法に於て未成年者の訴訟無能力の規定を設けたのは一つに未成年者保護の趣旨に出ているとの一般論から未成年者を訴訟無能力者とすることが未成年者を保護する所以であると言うがとんでもない間違いである。ここでは論じられるべきは民事訴訟に於ける未成年者保護の為の訴訟無能力制度一般ではない。論じられるべきは実体法的に親権を制限されなければならない様な未成年者の労働契約に関する訴訟追行という特殊具体的な問題に関する訴訟能力の帰属主体である。しかして労基法第五八条によつて親権濫用が原則化している以上未成年者の労働契約に関する訴訟追行に関しても同様に親権濫用が原則とさるべきであるとするのが法の論理である。この点に関し団藤重光「刑法」法律学講座三八一頁が横領罪について委託関係が不法であるために民法第七〇八条により委託者が返還請求権を有しないばあいについて横領罪の成立を認める判例に対し「刑法の見地から目的論的に考えることが必要なのはもちろんであるが民法上返還義務のない者に刑罰の制裁をもつて返還し少くとも処分をしないこと――を強制するのは法秩序全体の統一を破るものである。横領罪の成立は否定さるべきである」として異質の法である民法と刑法との関連に於ても法秩序全体の統一に考慮を払つていることが注目さるべきである。そしてここでは密接不可分(目的=労働法と手段=訴訟法)の関係にある労働法と訴訟法の問題であつてこの間の矛盾は認めることは止に秩序の致命的な破壊であつて許されない。以上の如く民事訴訟法に於て未成年者の無能力規定を設けた理由が未成年者保護の趣旨に出ているとの一事をもつて未成年者の労働契約に関する訴訟追行に於ても親権者の訟訟追行に委ねるべきであるとするのは、一般と特殊の間に於ける矛盾に目をおう形式論であり、その実未成年者の保護に反する立論であることは極めて明白である。

七、以上のような理解に立てば名古屋高裁決定が、労基法第五八条の規定の趣旨が未成年者保護と親権濫用防止の為に設けられたことを理由に未成年者に訴訟能力を認めるべきであるとしたことは当然すぎる程当然の帰結であり「労働基準法第五八条の規定の趣旨が未成年者の保護と親権者の権利の濫用を防止するために設けられたものであることは所論のとおりであるけれども、それだからと言つてどうして右規定が未成年者に訴訟能力を認めたことになるのであろうか。その間十分の理由付けを欠くものと言わねばなるまい」原判決こそ「未成年者の行為能力の限定はその利益を保護する為であるから、能力の限定が未成年者にとつて不便不利益である時は必ずしも原則を守るべきではない」(宗宮信次「民法総論」有斐閣二九頁)と言う判かり切つた論理に故意に目をつぶるものである。

八、労基法第五八条第一項は親権者又は後見人が未成年者を代理して労働契約を締結することを禁止しており当然の事乍ら同時に未成年者の労働契約解除権をも認めている(窪田隼人「年少労働者」有斐閣労働法講座第五巻一三三〇頁)。特に労基法第五九条は労働の対価である賃金について未成年者が独立に受領すべきもので親権者等が代つて受領できないこととしていることも労働契約における労働者側の最も重要な権利についての管理権を未成年者本人に認めているのである。かくして労働契約の存続そのものについては第五八条第二項の場合以外には親権者の介入は排除されているのであつて労働契約について未成年者の訴訟能力を認めるべきことは民訴法第四九条但書の命ずるところである。又船員法第八四条は「未成年者が船員となるには法定代理人の許可を受けなければならない。前項の許可を受けた者は、雇入契約に関しては成年者と同一の能力を有する」と定めているがこの規定は船員の生活は主として海上の限られた船内で送られ行為の範囲は陸上労働者ほど広くないので行為能力は雇入契約にかんして認めれば一応充分とした趣旨のものであつて換言すれば船員法の右の規定は行為能力の範囲を陸上労働者よりも狭めたところに海上労働の特殊性に基く例外性が存するので陸上労働者の労働契約上の権能についての前記解釈の妨げになるものではない(兼子一「未成年者の訴訟能力」ジュリスト労働判例百選二二〇頁、後藤清未成年労働者の訴訟行為能力」判例評論三五号一二頁)。

九、原判決は更に民訴法第四九条の解釈論に於て満十五才位の未成年者にはその思考判断力に於て未だ成熟しないものがあることから訴訟遂行の複雑性困難性を理由に未成年者の訴訟能力を否定すべきであるとしてこの点については極めて即物的具体的な考察を許しておき乍ら、地位保全の仮処分申請等に於ては殆んど無意味の親権喪失宣言制度を揚言したり訴訟の実際に於ては訴訟代理人に委任することが多いし弁護士の附添命令等を活用すれば足りるとの肯定論を排斥するに当つて右肯定説は法律論に非ずとして極めて抽象的形而上学的思考方法を取り入れるという厚かましい矛盾をおかしている。ここで問題とさるべきは生きた法の探究であり、就中本人訴訟に於ける未成年労働者と成年者若しくは老人との間における差異である。然る時実際の本人訴訟を前提とする限り未成年者と成年者の能力の差異は五十歩百歩であり、むしろ近頃の若い者の方が主体性が確立されているだけに訴訟に親しみ易いだけましだと言うべきである。

いわんや未成年者の労働契約に関する限り原判決の如き所謂本人訴訟に限定して考える時は訴訟の複雑性困難性を理由とする親権者の訴提起若しくは追行過程に於けるサボタージュ乃至は妥協こそが心配されるべきである。ともすれば親権者自身のことでもないし会社のえらいさまににらまれたらどうせ碌なことはないから少しでも金を沢山貰つて早く辞めさせた方が得だと考え勝ちな親権者に訴訟を委ねるよりは、一般的に近代法の権利義務の観念に立脚して具体的な労働の権利を追求し、使用者の不正を許さないとする不屈の精神に富む未成年労働者に訴訟を追行させることの方がどれ程か法の趣旨にそうところである。

前記窪田「年少者労働者一三三二頁」も単なる知能程度の差異による攻撃防禦方法の不手際であるなら成年なるが故に常に未成年者より優れているとは限らないとしている。なお未成年労働者の中には満十九才十一カ月と二十九日の者もいることであるし、営業を許された未成年者の中に満十五才位の者がないとも言えないことであるし婚姻した女子未成年者は満十六才にして訴訟能力者となること及び訴訟の困難複雑性は労働争訟に限局される問題ではなく訴訟一般の問題である。

第三、労働基準法第五十九条論

一、原判決は労働基準法第五十九条が「未成年者は独立して賃金を請求することができる。親権者又は後見人は未成年者の賃金を代つて受取つてはならない」と規定していることについて「賃金請求は厳格なる意味において法律行為ではなく、未成年者に対して実体法上の請求権を与えたものとは解し難い」としている。然し原判決のこの論旨は極めて形式的に、平面的に解釈しているものであつて不当である。

1 まず第一に、賃金請求という行為そのものは、厳格なる意味において法律行為ではないとしても、右労働基準法第五十九条の規定が、実体法上の賃金請求権を未成年労働者に与えたものと解しなければ同条項を中心とする親が子を食い物にするという悪習を根絶するための未成年労働者の保護の規定の趣旨は完徹されず一体何のための規定であるかということになろう。

2 次に右基準法の規定によれば、未成年者の親権者や後見人は未成年者の賃金を、未成年者に代つて受取つてはならないのであるが未成年労働者に、実体法上の賃金請求権が無いとすれば、原判決は代つて受取ることのできない親権者や後見人に請求権が与えられているとでも言うのであろうか。まさか、その様な趣旨を云わんとするものではなかろう。とすれば、賃金請求権を持つているのは一体誰であるのか、右基準法の規定よりすれば、当の未成年労働者以外には存在しないではないか。

3 第三に賃金は、飽くまでも労働の対価であり、従つてその賃金請求権は、労働契約の当事者であり、労働をした者である労働者が有するものであることは明らかである。

その労働者が実体法上の賃金請求権を有することについて、原判決は否定的見解を採ることになるのであろうか。そうでないとすれば、当該労働契約の当事者であり(労働基準法第五十八条第一項)、且つその労働をした者である未成年労働者が、如何なる理由でその労働の対価である賃金を請求する実体法上の権利を持つていない若しくは与えられない、と言うことになるのであろうか。その理由は、未成年労働者の保護のためであるとでも言わんとするのであろうか。元来働いた者が、労賃を受領するのが当然の事理であるのに、未成年者に対しては、悪徳な親たちが、その当然の事理をわきまえないからこそ当然のことを基準法が規定しているのである。折角のその当然の事理を規定している基準法を、原判決は誤れる未成年者に対する保護観から曲解しているものと言う外はない。

二、次に原判決は「実体法上の請求権を認められた場合は全て訴訟法上の請求権をも認められたものとは結論することもできない」とし、「労働基準法第五十九条前段の規定は同法第二十四条の賃金直接払の原則を未成年者の場合につき注意的に規定したものにすぎない」としている。これは実体法と手続法とを全く形式的に分断するものであり不当である。

1 実体法上請求権を認められた場合、その請求権を実現するには、訴訟法上も認められるものとしなければ、実体法上の請求権を実現する方法が無い訳である。その請求を受ける者が任意に、請求に応ずるならとも角、そうでなければ、訴訟法上請求権が認められなければ実体法上の請求権は請求権を有している、という丈のことであつて、何のことはない空中に向つて叫ぶことが出来る、という位のことに過ぎないことになる。

2 労働基準法第五十九条が、未成年者に対して賃金を、独立して請求し得る権利を与えた当然の結果として、未成年者に対して、賃金請求に関する訴訟能力を認めることは判例、学説の通説である。賃金請求に関する訴訟能力を認める以上は、未成年者が独立して賃金請求訴訟をなし得る権利を認めたものであることは言うまでもない。

3 基準法の右規定が賃金直接払の注意的規定にすぎないとする原判決の論旨は全く右規定が未成年労働者保護の中心の一つとなつていることを看過したものと言うべきである。注意規定どころか右1、(イ)の如く親が子を食い物にする悪習を根絶するための中心規定の一つである。この点からしても原判決は基準法の解釈において、同法の趣旨とする未成年者保護の精神についての理解が不充分であるというべきである。

三、更に原判決は「基準法第五十九条の規定の解釈と訴訟の遂行を考慮するときは、右規定を以つて、訴訟法上の請求権を認めたものと解することはできない」とし「賃金請求についてのみの規定をもつて、労働契約から生ずる全ての争訟について訴訟能力を肯定するのは文理解釈の範囲を逸脱する」としているが、これは形式的な文理解釈にすぎない。

1 この点については労働基準法第五十八条とも関連するけれども、同条項が親権者及び後見人が未成年者に代つて労働契約を締結することを禁止し、基準法第五十九条が未成年者の独立賃金請求権を規定している趣旨は飽くまでも未成年者が自らの意思で締結した労働契約により特定の使用者との間に継続的に労働契約を中心とする生活関係を営んでいる場合には少くともその生活関係を維持して行くために必要とする諸種の法律行為については使用者に対する関係も含めて、法律上完全独立の人格者として遇することにより子供を自分の財産視する親権者後見人に対して未成年者を保護せんとするものであると解すべきである。

2 原判決は、基準法第五十九条のみをとりあげて、その規定するところは賃金請求のみであるという点を強調しすぎる余り、右五十九条を同法第五十八条との関連においてとらえ様としないのは、基準法の未成年労働者保護の趣旨を正しく解釈するものではないというべきである。

3 基準法第五十九条を同法第五十八条との関連において正しく解する限りは、労働契約関係について未成年労働者が独立してすることのできる行為の範囲は、基本となつている労働契約より流出した個々の部分的な権利行使である賃金の請求及び受領に止まらず、第五十八条の明記する労働契約の締結に始まり、その存続、その態様についての諸種の要求を使用者に対して主張すること、更に労働組合の結成に参加し、その中での諸種の活動を行うことにも及ぶべきであり、右の諸要求及び諸活動についての諸問題を裁判の内外を問わず、その解決について、独立して主張することが出来ると解するのが妥当というべきである。原判決は右の点を全く看過して基準法第五十九条のみの文理解釈ということで問題をずらしているか、そうでないとすれば形式的な文理解釈により自繩自縛に陥つているものという外はない。

4 更に、原判決は「訴訟の遂行」という点を掲げその結果の重大性及び訴訟行為の内容の複雑さを理由として、あたかも未成年者の訴訟能力を否定することが、未成年者の保護になるかの如き論旨を述べているが、極めて表面的な形式的な立論という他はない。その理由はつぎのとおりである。

(1) 原判決は未成年者が思考判断能力に成熟しないことが顕著であるとしているが、これは原判決に関与した裁判所における極めて形式的な、独断的な主観的な「顕著」であつて、所謂、立証することを要しないという意味の「顕著」なるものではない。満十五才以上の未成年者は既に国家が必要にして充分であるとして決めている義務教育を終つており、一本立ちで社会生活を営むことが出来る能力を国家が承認している者であり、特に新しい民主々義教育を受けている結果、その人権感覚は明確であり、法的思考能力も充実しており「長い物にまかれる」式の封建的、権威主義的な、退嬰的な親よりもその主体性の確立において勝れている。このことこそが顕著ということのできるものである。だからこそ、基準法が賃金請求及び労働契約について親権者、後見人の介入を排除して、未成年者の独立の行為を是認している。

(2) 訴訟一般においては、種々の抗弁が出されて複雑な関係が生ずることもあるという点については別に争うところではないが、そうだからと言つて、いやそうであるからこそ未成年者を含めて、所謂本人訴訟というものを裁判所が歓迎していないことが顕著である。裁判所は、本人が出頭すると、極力弁護士を代理人として委任して訴訟遂行をする様にすすめているのが実情である。従つて極めて簡単な法律上も事実上も争いのない事件以外は、殆んど全部が弁護士である代理人によつて訴訟の遂行がなされている。この事実を原審は顕著な事実として認めていないのは不当であり、余りにも表面的な判断の仕方である。この点については未成年者の関与する訴訟についても全く同様である。

(3) 更に原判決は、種々の抗弁が出されて訴訟関係が複雑になるということを極力主張し、未成年者の能力をもつてしては訴訟の追行に不安なきを期し難いとしているが、原判決のこの論旨は、諸種の抗弁が出されて訴訟関係が複雑になるのが、恰も未成年者の関与する賃金請求訴訟或は解雇無効確認請求の訴訟にのみ特有のものであるかの如き主張である。そしてそのことのみを理田として労基法第五十九条前段の規定が、未成年労働者に訴訟能力を与えたものと論断することはできないとしている。未成年者の関与する訴訟のみが、特に複雑であるということは、全く根拠のない主張であり、このことをもつて、未成年者に訴訟能力を認めることは妥当でないとしているのは不当極まる主張である。原判決の論法は、未成年者の訴訟のみが特に複雑であると前提し、その前提に立つて、不当にも、一般的に、未成年者の訴訟能力を否定しようとしているものであり、誤魔化しの論理というべきである。

四、原判決は「未成年者に例外的に訴訟能力を認めた民事訴訟法第四十九条但書の趣旨が成年者と余り変りのない法律行為の可能な未成年者を予定していることに鑑みるときは云々」として未成年労働者は成年者と余り変りのない法律行為をする能力を持たないものとしている様である。

1 この点については、未成年者に対する営業及び職業の許可の点と関連して、労働基準法第五十八条を中心とする陳述において詳細に論じているとおりであり、未成年労働者が成年者と余り変りのない法律行為をすることができないものと断定することは不当であり、右3(イ)において陳述した如く、未成年労働者が労働契約関係を含めて社会生活関係の中で諸種の法律行為を行つていることは顕著な事実であり、この諸種の生活関係の中において未成年労働者は成年者と全く変らない法律行為を行つている。このことに鑑みるときは、原判決の判断が不当なものであることは明らかである。

2 原判決は、賃金請求や受領は法律行為ではない、民訴法四十九条但書は成年者と変りのない法律行為の可能な未成年者を予定している。従つて未成年者の法律行為でない賃金請求については民訴法四十九条但書の適用はないという形式的な三段論法を駆使して、右(イ)に述べた事実を不当に黙過しているものというべきである。

第四、民法第八二三条、第八五七条論

一、原判決は未成年者の親権者又は後見人が民法第八二三条第八五七条の規定により子が職業を営むことを許可したときは民法第六条第一項の営業を許可した場合に当るか否かをしきりに論議しているがそのこと自体極めて無意味なことである。何故なら未成年者の親権者又は後見人が子に対し職業を営むことを許可したときは民法第六条第一項をまつ迄もなく民訴法第四九条但書に該当すると解すべきだからである。

二、民訴法第四九条但書は民訴法第四五条と相俟つて訴訟能力は原則として行為能力に準じて決定する旨定めている。かくして訴訟能力は訴訟能力一般ではなくあく迄も相対的なもの、(行為能力に相対的な特殊具体的なもの)である。換言すれば営業することを許された未成年者は営業に関する訴訟についてのみ訴訟能力者となるのであつて(民法第六条)、営業に関しない訴訟については依然として訴訟無能力者である。尚営業の許可自体がそもそも何々業と云うように一種又は数種の種類を指定するを要し、一切の営業と云うような許可は適法でないとされているのであるから未成年者営業者が訴訟能力を有するのは「一種又は数種の」の許可された営業に関する限りに於てであつて営業一般について訴訟能力者となるのではない。

三、しかして右の如き場合に未成年者が能力者となる根拠は法文に例えば能力者と看做すと言う表現が用いられているからではなくあく迄も民法第六条の場合について言えば、一種又は数種の営業を営むことに対する許可自体によつて(婚姻をした未成年者について言えば婚姻と言う事実によつて)能力者になる。しかして一種又は数種の営業を許された未成年者は営業の開始だけではなくその継続等営業そのものに関する一切の権利は勿論、営業の為に店舗を借入れ、使用人を雇入れるような準備行為補助的行為等も営業に関する行為として未成年者単独で為し得るとされている。そして最早やここでは未成年者が能力者性を獲得する根拠が単に許可にあると言うだけでは全く説明がつかないことになる。無能力者制度は一言に言えば未成年者の保護の為の制度であるが右制度は未成年者保護と取引の安全(取引の相手方の保護)と言う根本矛盾を内包している。未成年者保護の為には立法上例えば民法第六条について言えば営業の開始を許された未成年者について一定の重要な行為について更に親権者の同意を要するとすることも可能であり場合によつては望ましいことでもある。然し乍ら民法がこのような取扱を許していないのは専ら取引の相手方保護の為である(我妻「民法総則」五九頁(3)(ロ)参照)。即ち取引の相手方保護との調和が「能力者と看做」されることの実質的根拠なのである。取引の相手方保護の為の右の如き取扱は単に営業を許された未成年者のみについての問題ではなく会社の無限責任社員となることを許された未成年者についても婚姻した(未)成年者についても同様である。然らば民法第八百二十二条等により未成年者が職業を営むことを許可された場合は取引の相手方を保護する必要は存しないだろうか。決してそうではなく民法第八百二十三条等により未成年者が職業を営むことを許可された場合にも取引の相手方を保護する必要の存することは余りにも明白である。何故なら職業を営むことを許可された場合未成年者は「通勤のためには交通機関を利用したり、オートバイに乗つたりせねばならぬのは当然であるし、勤務先によつては絶えず身の装いを新たにせねばならない。親の許を離れて勤務する労働者にいたつてはその勤務ならびにその基底たる日常生活の必要からの行為の範囲は一そう広いわけであつて、その行為能力を認める必要は婚姻した未成年者の場合と変りはない」(後藤清「未成年労働者の訴訟行為能力」一三頁、一四頁)従つて営業を許された未成年者の場合等と同様に取引の相手方を保護する必要が存するからである。果して然からば民法第八百二十三条等の解釈上職業を営むことを許可された未成年者も又他の場合と同様行為能力者となると解すべきことは当然である。

四、ここで問題になるのは民法第八百二十三条等の場合には「成年者と同一の能力を有す」と言う趣旨の条文上の字句がないことである。然し乍ら法律の解釈はあく迄も目的論的に為されるべきであつて単なる文理解釈に止まるべきではない。法の解釈に当つて特定の条文を無意味の冗文或は空文とする他仕方のない場合すら存することを想起すべきである。以上のとおり未成年者が民法第八百二十三条等によつて職業を営むことを許可された場合には右許可があつたというだけで職業を営むことが民法第六条に所謂営業に当るか否かを論ずる迄もなく未成年者は能力者となると解すべきである。

五、仮にそうでないとしても民法第六条にいう「営業」と同第八二三条等に所謂「職業」とは原判決の言うごとく必ずしも排斥し合う概念ではない。原判決は民法第六条に謂う「営業」とは商業又は広く営利を目的とする事業に限られるのであるが、「職業」の概念は広く継続的な業務をいい営利を目的とすると否とを問わないものであつて営業よりも広い観念である。従つて民法第八二三条、第八五七条により親権を行う者が未成年者に対し職業を営むことを許可したものということはできないとしているが形容矛盾である。蓋し職業を営利を目的とすると否とを問わない営業より広い観念だと解する限り営業は職業の一種として職業の中に包含されることになり(同旨我妻栄外「親族法相続法コンメンタール」二七五頁、末川博外「民法総則物権法」ポケット注釈全書一九頁等)職業の許可は当然に営業の許可を包含することになるからである。

六、この点について控訴人は民法八二三条等により職業を営むことを許可された時は民法第六条民訴法第四九条但書によつて訴訟能力を有すると解するのであるがその文理的根拠は民法第八二三条第一項が「職業を営む」と言う表現を用いていること、同第二項が第六条第二項を引用していることからすれば、第六条の営業というのも職業を営むことの省略と解し得ないわけでもないことに求められるし(前記兼子一「未成年者の訴訟能力」参照)、実質的に考えても大判大正四、一二、二四民二一八七頁が四〇ケ月三〇〇円の給金をもつて抱えられる芸妓となることを民法第六条にいう営業と為していること、民法第六条が営業を許可された未成年者に営業に関し成年者と同一の能力を認めたのはその活動範囲の広いことにかんがみその活動を容易ならしめるためであつたが、今日の未成年労働者も又営業に従事する者以上に活動範囲が広まつていることを考えると民法第六条の適用範囲を他人の計算における事業に労務を提供するにすぎない労働者にも拡げらるべき理由は十分に具つているのである。後藤清「未成年労働者の訴訟行為能力」(前記三に引用済)。

七、控訴人と同様の見解は労基法第五九条の立法趣旨に関する末弘博士(立案者の一人)の説明にも表れている。同博士は言う。「民法によると『営業を許されたる未成年者は其営業に関しては成年者と同一の能力を有す』(六条)るから親権者等の許可を得て労働者となつた未成年者は『営業を許された』ものとして成年者と同様独立して賃金を受ける権利を有するとの解釈が成り立ち得る訳であるが本条は端的にその趣旨を規定して未成年者が独立して賃金請求権を行使し得ること………を明らかにしたのである」と(末弘「労働基準法解説」法律時報通巻二一五号三三頁)。従つて未成年者が職業を営むことの許可を受けた場合は民法第六条に所謂営業の許可を受けたことに該当することは明白であり原判決のこの点の見解も失当である。

第五、

一、原判決は未成年者は労働契約より生ずる争訟につき、すべて訴訟能力を有しないものであるとし、法定代理人に対し訴訟能力の欠缺を補正することを命じ所定期間内に右補正命令に応じなかつたから本件申請を却下した。しかしながら、原判決の未成年者に訴訟能力なしとし、法定代理人に代理権あるとする原判決の見解は明らかに誤りである。

二、民事訴訟における訴訟能力及び無能力者の法定代理は特別の規定のない限り民法その他法令に従うものとする(民訴法第四五条)。これは、訴訟能力は、民法、労働基準法、船員法等実体法上の行為能力に関する規定によるとする趣旨である。従つて未成年者が実体法上行為能力ないとされる事項については訴訟能力もなく、反対に実体法上行為能力がある事項に関しては未成年者も訴訟能力を有するのであり訴訟無能力者の訴訟行為代理は民法等実体法の定める法定代理人がなすのであり、何人が法定代理人であるか、その代理権の範囲内容等は全て実体法の規定による(但し、法定代理人の同意権は特別規定たる民訴法第四九条本文により否定される)のであり実体法上の法定代理人であつても実体法上代理権が制限される場合には、訴訟法上の法定代理人たり得ない。この行為能力、訴訟能力、法定代理の実体法と訴訟法の関連性、統一性は民事訴訟が実体法上の権利の実現の過程であり、又法秩序法律制度の統一性の理念からも当然首肯できるところである。

三、原判決は、未成年者に労働契約に関する訴訟に訴訟能力ありとする名古屋高等裁判所の決定(昭和三五年一二月二七日決定)に対し、種々反論を試みているが、右反論は全く当を得ないひとりよがりの議論に過ぎない。右名高裁決定は懇切丁寧に「労働契約の締結は未成年者保護と親権者の権利濫用の防止の立場から満一五才以上の未成年者が自らなすべきで親権者又は後見人は代つてなすことが出来ないところであるから満一五才以上の未成年者は労働契約に関する訴訟を自ら有効になすことが出来る」と判示しているにも拘らず、原判決は「労働基準法第五八条の規定の趣旨が未成年者の保護と親権者の権利濫用を防止するために設けられたものであることは所論のとおりであるけれどもそれだからと言つてどうして右規定が未成年者に訴訟能力を認めたことになるであろうかその間十分の理由付けを欠く」とか「右労基法の規定の文理解釈上は無理」「右規定の趣旨から未成年者に訴訟能力を認めたと解することも相当でない」「満一五才位の未成年者はその思考判断能力において未だ成熟していないことは顕著な事実であるから、かかる未成熟者に訴訟能力を与えることが果して未成年者保護になるであろうか………却て訴訟無能力者とすることが未成年者を保護する所以である」と論じているが右は、右名高裁決定の判示の最も重要な部分である未成年者の労働契約に関する行為能力及び法定代理人の代理権の欠缺と未成年者訴訟能力との実体法と訴訟法との統一性関連性の説明を故意に、不注意かこれを看過し、自己に都合の良い主題を選び出し、ひとりよがりの勝手な議論を展開しているに過ぎないのであり到底他を納得せしめ得る反論となり得ないものである。

四、未成年者が労働契約を締結すること及び右に附随する事項につき法定代理人は代理してこれをなす権限(代理権)を有しない。

民法は未成年者を行為無能力者とし、親権者又は後見人が未成年者を代理してなすことができるものとしている。しかし民法の右の原則は、その後に判定された労働諸法規により変更された(この点に関し民法と労働諸法規は一般法、特別法の関係にある)。

船員法は成文を以つて明確に解決している。即ち船員法第八四条は「未成年者が船員となるには法定代理人の許可を受けなければならない。前項の許可を受けた者は雇入契約に関しては成年者と同一の能力を有する。」と定めている。この「成年者と同一の能力を有する」とは未成年者は行為能力者であり法定代理人の代理権は消滅することを意味する(我妻「民法総則」六〇頁)。一般の未成年者の労働関係について労働基準法は、未成年者の行為能力につき直接明文を以つて規定していない。それは労働基準法が国家的取締法規の性格の強い法律であるが故に未成年者の能力につき明文を備えないというだけであり、同法の中の未成年者に関する規定より未成年者の能力に関する労働基準法の規整は十分に知ることができる。同法第五八条第一項は親権者又は後見人が未成年者を代理して労働契約を締結することを禁止しており、これは労働契約につき親権者後見人の法定代理権を否定する趣旨であることは明らかであり、又同法第五九条は労働の対価である賃金について未成年者が独立に受領すべきもので親権者等が代つて受領できないものとしている。賃金の受領は厳格な意味での法律行為の代理ではないが、労働契約における労働者の最も重要な権利についての管理権を未成年者本人に認め親権者等の代行を認めないものであり、先の労働関係の最も基本である労働契約の締結に関し法定代理人の代理を許さないことと合せ考えれば未成年者の労働関係につき労働基準法は法定代理人の代理権を認めていない(我妻前掲六四頁)。一般に未成年者の法定代理人は同意権と代理権を有しているのであるが、労働関係に関しては法定代理人は同意権は別として、代理権は労働基準法により消滅させられ代理する権限を有しないものである。この労働関係における法定代理人の代理権の制限は単に労働契約の締結賃金の受領に限られるものでなく、労働契約に附随して生ずる問題、即ち労働契約存続中の転勤等種々の労働条件(契約内容)の変更、或は契約の消滅(労基法第五八条第二項は親権者等に解約権を与えているが、これは保護者としての固有の権限であり法定代理権の行使ではない)労働組合への加入、健康保険厚生年金保険の加入(強制適用事業以外の事業主は労働者の同意を得て申請する健保法第一四条厚生年金法第一〇条)等労働関係の全般につき親権者等の法定代理権は存在しない。

五、民事訴訟法は未成年者の訴訟能力につき第四九条本文は「未成年者、法定代理人に依つてのみ訴訟行為を為すことを得」と規定しているが、右規定は同条但書に該当する場合を除いて全てにつき法定代理人が訴訟に関し代理する旨を定めたものではない。即ち法定代理人の定義概念それ自体、それは実体法(民法)に依るものであり、従つて実体法上法定代理人の代理権が制限される場合(例えば民法第八二六条利益相反行為)には、右第四九条本文があるからと言つて法定代理人は訴訟上代理人となることはできない。換言すれば法定代理人であつても実体法上法定代理権が制限される場合には、訴訟上代理人とならない。このことは民事訴訟法第五六条の存在からも容易に首肯できる。労働関係に関し未成年者の法定代理人の法定代理権が実体法上存在しないことは前述したとおり明らかである。従つて未成年者の労働関係の訴訟につき仮りに民訴法第四九条但書に該当しないとしても、親権者等の法定代理人に訴訟上の法定代理権は認められないところとなる。即ち実体法上において代理権のない法定代理人は訴訟法上も代理権はない。この点においても原判決が法定代理人が訴訟法上の法定代理人であるとし補正を命じたことは誤りであつた。仮りに百歩譲つて原判決の未成年者は労働関係訴訟につき訴訟能力がないとするのが正しかつたとしても、原判決は法定代理人に補正を命ずるべきでなく何等の方法で特別代理人を見付けてそれに補正を命ずるべきであつた。民訴法第五六条は被申請人被告の場合であり他に本件の如き場合特別代理人を選任する規定手続は存しない(利益相反は民法八二六条家事審判法第九条同規則六七条)。未成年者の労働関係の訴訟につき親権者等の法定代理人が訴訟法上法定代理人たり得ないし、又この場合特別代理人を選任する規定も手続も存在しないのであり未成年者の労働関係については法定代理人は何処にも存在しない。

六、未成年者の労働契約に関するものについては特別法たる労働基準法により法定代理人の代理権は消滅し、法定代理人は未成年者の労働関係の訴訟につき代理すべき資格を有しない。従つて労働契約に関する訴訟については未成年者自身が完全な訴訟能力者であり(菊井、村松「コンメンタール」一六七頁)原判決の誤りは明らかである。

(二)  被控訴代理人の主張

第一、序論

原判決は、正当であつて、被控訴人は全面的に之を援用するものであるが、更に被控訴人は、控訴人の主張に対し、反駁を加えつつ次の通り主張する。

第二、労基法第五八条について

一、労基法第五八条第一項は「親権者又は後見人は、未成年者に代つて労働契約を締結してはならない」と規定しているが、この意味は労働契約に関する限り、未成年者も、自由に契約を締結し得るとするのではなく、単に、未成年者の同意がある場合でも法定代理人がこれに代つて労働契約を締結してはならないとしたものに過ぎず、未成年者が自身で労働契約を締結する場合には、一般の場合(民法第四条)と同様、法定代理人の許可を必要とすることには変りはないのであつて、このことは、右第一項の文理解釈からも、又同条第二項が、法定代理人に対し、未成年者の締結した労働契約の解除権を与え未成年労働者を民法の一般原則よりも、更に強力な保護的干渉の下においている点からも容易にこれを看取しうるのであり、船員法第八四条の規定も右解釈の正当性の裏付けとなるのである。

しかして控訴人を含め論者の一部は同条を以て、文理的にも、未成年労働者の訴訟能力を認めたものであると主張するが、同条は労働契約締結の代理禁止を規定しているに過ぎないのであつて、同条から直ちに未成年者は、独立して労働契約を締結又は解除することができ、ひいては労働契約の存否に関する紛争につき訴訟を提起することができると結論することは出来ない。それは前述の如く、同条第一項の文理解釈上当然であるのみならず、同条第二項において、未成年者の契約した労働契約が不利であるときには親権者等において之を解除することが出来る権限を与えて、未成年労働者を強力な保護的干渉の下においていることに徴しても明らかである。

二、労基法第五八条が親権の濫用を防止する趣旨にあるとしても、そのことから、直ちに未成年労働者に対し、訴訟能力を附与したと結論することは早計であり誤りである。

控訴人は、未成年労働者に訴訟能力を附与すべき論拠の一つとして、労基法第五八条においては、親権の濫用は原則化されたという。しかしながら、控訴人自身が自認する如く、権利の濫用は稀有異常のことであり、同条はかような例外的な事態を慮つて設けられたものであるが、その、例外的な事態を抑止する立法がなされたからといつて、直ちにその例外が原則となるとするのは論理の飛躍以外の何ものでもなく、かような論理乃至法則はどこにも存在しない。

訴訟能力の観念は訴訟法上のものであつて、訴訟法上の行為能力として訴訟主体の意思能力が核心をなすものであるから、訴訟能力を認めるにはいかなる程度の意思能力を必要とするか又訴訟能力の範囲及び程度をどのように定めるかは、いずれも訴訟法独自の立場からこれを決定するのは当然である。当事者の訴訟追行が拙劣であれば、敗訴を招き、或は権利を喪失し或は義務を負担するということにもなり兼ねない。従つて法律は、自ら攻撃防禦の方法を講ずることが出来ない者を保護するため、訴訟能力という規準を設け、これに達しない者には、単独で訴訟追行を許さないものとした。訴訟能力はいわば訴訟法上の行為能力として、民法の行為能力と対比されるけれども、民法の法律行為が平面的単一であるのと異り、訴訟法では訴訟行為が反覆連続し相次いで行われ立体的であるので、その保護の必要ははるかに大きい。さればこそ民事訴訟法は、思慮分別の未熟な未成年者が、自ら訴訟に関与することを原則として禁じ、法定代理人をして訴訟をなすことにした。それ故、未成年労働者に訴訟能力を附与すべきか否かのメルクマールは、一つにその保護になるか否かにあり、稀有且つ異常の場合である親権濫用の防止になるか否かにあるのではない。

この趣旨からすれば、労働契約上の争訟につき、未成年者に訴訟能力を否定するのは、未成年保護の趣旨に反しないばかりか、却つてその保護する所以である。

控訴人を始め、一部論者の中には、法定代理人が訴の提起を怠つたときには、未成年者の保護に欠ける処が生ずるとなして未成年者に訴訟能力を認める必要があることを強調している者がある。

しかしこの問題は、未成年者制度全般に通ずる問題であつて、敢て労働訴訟のみに特異な問題ではない。従つて仮りにこの論旨に従えば、あらゆる訴訟について未成年者に訴訟能力を認むべきであるとの結論に到達せざるを得なくなり、立法論としてはとも角現行法の解釈としては未成年者を訴訟能力者と定めた民訴法第四九条と衝突することは明白である。

一般に法定代理人が、未成年者のため訴の提起を意識的に怠ることは、一部の論者が強調するように屡々発生するものではなく稀有且つ異常な事例に属する処であるのみならず、仮りに斯る事例があつたとしても、このように労働訴訟のみに関した問題でない事例を根拠として、何等明文上の根拠なく、労働訴訟に限り未成年者に訴訟能力を認めようとすることは独断の譏を免れ得ない。なお附言すれば、法定代理人が本人である未成年者の意思に反して訴を提起しない事案もその理由を調査すると思慮分別の深い法定代理人が未成年者と見解を異にし訴訟の見透し等について悲観的見解に立つていることにその理由が存する事案が多々存するのであつて、決して法定代理人が未成年者の利益に反してまで訴の提起を怠つているものではない。

三、更に控訴人は、未成年労働者に訴訟能力を附与すべき論拠の一つとして、無能力者制度は、貧困の未成年者労働者にとつては保護の役割を果していないという。しかし乍ら、それは実体法的考察方法と訴訟的考察方法を混同するものであつて、にわかに左祖出来ない。

未成年者の保護は、労働契約その他労働条件等については、労働基準法その他により考えなければならないが(実体法的考察)、訴訟行為は、種々の攻撃防禦方法を伴い、その遂行は複雑にして困難であり、訴訟の結果は、当事者に重大な利害を及ぼすものであるから、訴訟の提起、追行については、訴訟法の観点から考慮すべきものである(訴訟法的考察)。それ故、実体法上無能力者制度が無産の未成年者に保護の役割を果していないとしても、それだからといつて、訴訟法上能力者として扱うべしとはいいきれない。もともと控訴人の見解は、実体法と訴訟法との統一解釈を強調する余り、訴訟法上の問題である訴訟能力についてそれを実体法上の無能力者制度にすりかえ、実体法上の面でしかとらえず、訴訟法的考察を全く捨象して論ずるという根本的な誤謬に陥つている。

四、又控訴人は、本人訴訟の場合における未成年者と成年者の能力の差は五〇歩百歩であるという。

控訴人のこの主張に至つては、最早法律論をはるかに離れた俗論といわなければなるまい。未成年者といえども、その思慮分別の能力は各人各様であり、成年者のそれよりも秀れた持主もあり得ることは当然で、人の能力は漸進的に発達するものであるから満二〇才の前後によつて画一的に区別することは、個々の事案について具体的に眺めれば妥当を欠く場合もあろう。しかしそれにしても、個々の事案毎に、個別的に、当事者が無能力者であるかどうかを審査することは、必ずしも容易でなく、画一的な基準によつて、能力の有無を定めようとすることが、無能力者制度の目的なのだから、これは或程度までやむを得ない。しからば、社会経験則上、一般に未成年者は、成年者より思慮分別が未熟であると考えられるから、訴訟能力を未成年者には附与せず、成年者に附与するということは、当然のことといわなければならない。

第三、労基法第五九条について

一、労基法第五九条は、「未成年者は、独立して賃金を請求することができる。親権者又は後見人は、未成年者の賃金を代つて受け取つてはならない」と定めている。右未成年者の賃金独立請求の規定を目して、未成年労働者に賃金請求の訴訟行為能力を附与したものとする論者もあるが、この規定は、同条後段の規定と相まつて、否それを強調するための言句であり、また同条の賃金の「請求」「受領」は厳格な意味における法律行為でないことは勿論であつて、未成年者に例外的に訴訟能力を認めた民事訴訟法第四九条但書に所謂未成年者が独立して「法律行為」をなすことを得る場合に該当するものではない(柳川、高島「労働争訟」一六五頁以下、古山宏「未成年労働者の訴訟行為能力について」判例タイムズ七号所載、同旨沼田稲次郎「労働法論」上巻三九七頁)。未成年労働者が独立して賃金請求権をもつということが、直ちにこれにつき訴訟行為能力をもつということを意味しないことは、民法第四条第一項但書所定の「単に権利を得」べき行為につき、未成年者は独立した行為能力をもつが、しかもこれに関して訴訟を提起する場合には、なお法定代理人によつてのみなす外ないことに思を致せば、容易に首肯し得られるであろう。

又法定代理人によつて、賃金請求の訴訟をなすことは、労基法第五九条後段の「親権者又は後見人は、未成年者の賃金を代つて受け取つてはならない」という規定に抵触するものではないかとの疑問も起り得るが、同規定は「代つて受け取つてはならない」と定めているだけで、「代つて請求してはならない」とはいつていないから、法定代理人が賃金請求を提起することはなんら妨げない。ただこの場合でも、法定代理人は、自ら賃金を受領し得ず直接未成年者の手に渡るようにしなければならないだけである(古山前掲参照)。

二、かような理論上の点はともかくとしても、未成年労働者に訴訟能力を認めることによつて実質上甚しい不当な結果を来たすゆえんを指摘したい。いうまでもなく、民事訴訟は、当事者主義の原則に支配されている。勝敗の責任は、自己の利益をもつともよく保護するはずの当事者にまかされている。なるほど賃金請求訴訟は、訴訟としてはいかにも簡単であり、未成年者といえども、これをなし得るかの如き感もないではないが、訴訟の相手方は、単こ労働契約の締結を争うのみとは限らない。弁済、更改相殺等の抗弁を提出するかも知れない。或は賃金請求の外に、解雇無効確認等の併存する場合が、むしろ実例上多い(本件がまさしくこれである)。はたして労働契約の締結を許可された未成年者に独立して、かような訴訟行為をなさしめ、相手方成年者と法廷において攻撃防禦の方法を闘わせるのを相当と考えるものがあろうか。しかりとすれば、民事訴訟法が未成年者を訴訟能力者とした意義を全然没却するものといわねばならない(柳川、高島前掲一六六頁)。

三、控訴人は、実体法上請求権をもつものが訴訟法上独立して請求権を行使出来ないのは不合理であるし、かような実体法と訴訟法の矛盾は現行法上存在しないという。

なるほど実体法と訴訟法は、紛争の解決ないしは権利の実現という同一目的を指向するものであるが、控訴人の見解は実体法と訴訟法との綜合の「場」である「訴訟」の諸現象を実体法からのみ観察し、これを全面的に把握しない部分観に止まる。即ち控訴人の見解は、訴訟上の「請求」を実体法上の「請求権」に基礎を置く見解であるが(私法的訴権説―すでに葬り去られた学説であることは兼子「民事訴訟法体系」三一頁参照)、債務不存在確認の訴などでは、基本となる原告の実体法上の請求権はないわけで説明に窮することになる。訴訟上の請求は、訴訟法の観点から考察さるべきもので、実体法上請求権が存在しても、訴訟法の要請からその行使が制限されても、何んら不合理ではない。現行法上も前述のように未成年者が単に権利を得べき行為については、実体法上は独立した行為能力者であるが、訴訟を提起するにはなお法定代理人による外ないのである。更に準禁治産者についてみれば民法第一二条以外の行為については、実体法上は独立した行為能力者であるが、訴訟を提起するについてはなお保佐人の同意を要するのである(民法第一二条第一項第四号)。

かように実体法上独立して請求権を行使し得る能力があるとしても、訴訟法上それが行使出来るかどうかは、又別個に考察されねばならないのであつて、控訴人の見解は、訴訟の複雑性に目をおう皮相な見地に立つもので、到底これを採り得ない。このことは労基法の規定が、行政取締規定であつて、直接に訴訟能力を目して制定されたものではないこと、同法は無能力者制度の例外規定であることから厳格に解釈されるべきであること等からも首肯せられると考える。

第四、民法第八二三条第八五七条第六条について

一、控訴人は民法第六条の規定を待つまでもなく、民法第八二三条第八五七条から直接に未成年者の行為能力が導き出されるという。

しかしながら民法第八二三条第八五七条は、職業は、人の精神や身体のみならず、財産上にも影響するところが大きいので、未成年の子が職業を営むには、親権者の許可を要するとしたに過ぎず、要許可と許可権者を規定したに止まり、許可の効果は民法第六条によつてはじめて生ずる(「註釈親族法」下五五頁)。民法第八二三条は、許可の効果即ち行為能力の附与については、何んら規定しておらず控訴人の主張は独断以外の何物でもない。

二、次に控訴人は、法定代理人が未成年者の労働契約につき、同意を与えたときは、民法第八二三条、第八五七条により第六条第一項に該当するものとして成年労働者と同一の能力を取得するという。

しかしながら営業能力と労働能力とは必ずしもこれを同視し得ない。即ち営業能力は、必然に取引その他法律行為を前提とするものであるが、労働能力は労働供給能力に主眼がおかれるのみであつて、法律行為能力は必ずしもこれを必要としない。従つて営業許可のなされる場合には、一応当該未成年者の法律行為能力を勘案してなされるのが常であり、これに成年者と同一の能力を与えても、この点において大した不都合はないのであるが、労働契約の許可の場合は、当該労働関係に対する労働供給能力の有効のみが問題とされるのであるから、この場合を営業許可と同視して当該未成年労働者に成年労働者と同一の行為能力を認むべしとする結論は当然には導き出すことができない(古山宏前掲、柳川、高島前掲一六五頁参照)。

なお附言するに民法第六条に「営業」とは商業又は広く営利を目的とする事業に限られるのに対し、民法第八二三条に「職業」とは広く継続的な業務たる限り営利を目的とするか否か、独立的であるか否かを問わないのであつて営業よりも広く、従つて「職業」の許可があつたからといつて「営業」の許可があつたと当然にいうことはできない。

以上により労働契約から生ずる争訟につき、民事訴訟法第四九条但書に該当するものとして未成年者に訴訟能力を認めんとする積極論はすべて理由がなく控訴人の主張は排斥さるべきものである。

第五、船員法第八四条について

海上労働の特殊性及び雇入契約の公認制度を考察すれば、船員法第八四条は、海上の未成年労働者のみ適用され、陸上のそれには適用ないし準用されない。

(1)  雇入契約は、海上労働の特殊性から生ずるもので、船舶所有者が雇傭契約により雇傭した船員を特定船舶に乗船させるにつき、船舶所有者と船員との間に締結される乗船契約である(昭和三七年六月二五日名地裁判決、昭和三〇年一〇月一四日長崎地裁判決)。従つて雇入契約は特定船舶に乗船する毎に締結されるものであるから、一人の船員が、一生涯に数十の雇入契約を締結するのが常である。しかして未成年の船員が、今日甲船を下船して翌日乙船に乗船する場合は、乙船につき雇入契約を締結しなければならない。この様な場合、遠隔の地にある法定代理人の同意を得ることは、殆んど不可能であるから、もし船員法第八四条の規定がなければ、未成年の船員は、事実上、乗船不可能となつてしまう。更に雇入契約は、日本国内でのみ為されるとは限らない。外国の港において雇入契約が行われることもある(船員法第一〇三条はこの場合の雇入契約の公認手続が、日本の領事官によりなされることを規定している)。

この様な場合に船員法第八四条の規定がなければ、未成年の船員が乗船することは、絶対に不可能となる。更に雇入契約の締結のみではない。雇入契約は、往々にして更新、変更されるものである(船員法第三七条参照)。更新又は変更は、新たな権利、義務を発生させるものであるが、これらは海洋上においてなされるのが、むしろ常態である。従つて、船員法第八四条の規定がなければ、未成年の海上労働者については、雇入契約の更新変更も事実上出来なくなつてしまう。

以上から明白な通り、船員法第八四条の立法趣旨は、陸上労働とは全く別異の、海上労働の特殊性に由来するものであつて、船員として働く意慾を持ち、又その能力ある未成年者を就労させるために是非共必要な規定であつた。

(2)  更に立法の成立時期をみるに、労基法は昭和二二年四月七日公布されたものであるが、現行船員法は、これと前後して同年九月一日に公布されている。

もし控訴人主張の様に、労基法により、未成年労働者を一般的に能力者とみなされているとすれば、これを船員法に準用した筈であり(事実船員法第六条は、労働法の一定の法条を準用している)、又は少くとも船員法において第八四条のような規定を設けなかつた筈である(けだし控訴人主張の如き見解をとれば、とくに同条を設ける実益は全くないからである)。労基法に未成年労働者の能力規定がなく、船員法第八四条にその規定を置いたのは、正に同条の能力規定が、船員たる未成年労働者についてのみ規定されたものであり、我が国の法制が、海上の未成年労働者の能力につき、陸上の未成年労働者のそれと異つた立場をとつているものと解さざるを得ない。

(3)  前述の通り、船員法第八四条の規定が、雇入契約の特殊性、海上労働の特異性に由来して設けられたものであることが明かとなつたが、現行船員法は、法定代理人の保護に代えて、いかなる方法を考慮しているかを更に問題としなければならない。つまり船員法第八四条は、法定代理人の許可を得て船員となつた未成年者の雇入契約につき、法定代理人の関与を排除しているが、このことは未成年の船員が、陸上の未成年労働者よりも高度の判断能力を有することを根拠として、法定代理人の保護を排除したというのではないから、船員の場合は、法定代理人の保護に代る他の強力な保護手段を講ずる必要がある。これが即ち雇入契約の公認制度である(三七条)。

公認制度は、雇入契約の成立、終了、更新、変更毎に、船長がこれを記載した海員名簿を行政官庁(海運局、外国の港の場合は、日本の領事官。船員法第三七条第三八条第一〇三条)に提出し、公認申請をなし、行政官庁は、雇入契約が航海の安全又は船員の労働関係を維持するに妥当であるか否か、又当事者の合意が充分であつたか等を審査する。即ち公認制度は、行政上の立場から雇入契約を監督指導する機能を果している。

この公認制度により未成年船員が強く保護されていることは何人も否定することは出来ない。しかして陸上の未成年労働者には、雇入契約毎になされる公認手続に該当する制度は全く存在せず、その他法定代理人の保護にかわるべき何等の保護手続も講ぜられていない。

(4)  かようにして、船員法は主として雇入契約の特殊性、陸上労働と峻別される海上労働の特異性よりして、その第八四条を設けたのであるが、その外に、この規定を大胆にも設け得たのは公認制度という法定代理人の保護にかわる支えがあつたからに外ならない。

船員法は、戦前より我国でも最も進歩した立法であるといわれて来たが、船員法第八四条は、このような優れた背景のもとに初めて設定し得たのである。

従つてそれは飽く迄未成年船員にのみ適用されるものであり、陸上の未成年労働者と同一に論じ得るものでないことは勿論である。陸上労働者には、以上のような保護制度がないから、いまだその未成年労働者について、法定代理人の保護を制度上存置せしめる必要があるのであり(民法第四条労基法第五八条第二項。船員法第八四条については、労基法第五条第二項の如き規定はない)、労基法の規定も斯様に解釈することが正当である。

(三)  控訴代理人の反論

第一、労働基準法と民法との関係

労働基準法が民法の部分的修正乃至一部否定として立法されたという沿革乃至法の歴史的変遷過程を故意に度外視し労働基準法を民法のアンチテーゼとして動的発展的な姿に於てとらえるのではなく、単に静的に前者を、後者と相容れざる例外規定として制限的に解釈しようとする被控訴人の態度は到底正しい法の解釈態度とは言えないのである。

第二、労働基準法第五八条等に関する反論

一、被控訴人は右の如き労働基準法と民法との関係を否定する余り、労働基準法に於ては親権濫用が極度に警戒されている事実を無視し、本来労働基準法の解釈として論じられるべき問題(未成年者労働に関する親権行使という特殊的な問題)を、民法の問題(親権行使一般という普遍的問題)にすりかえるという誤りをあえて犯しその結果労働基準法第五八条等の立法趣旨を全く否定する態度に出ている。

二、労働基準法第五八条等は単なる行政取締規定ではないし、無能力者制度の例外規定でもないことは既に述べたとおりであり、又行政取締規定の一事をもつて或はひとり行政取締規定のみが厳格に解釈されなければならないいわれはない。

三、被控訴人は訴訟法の独自性を再三強調し実体法的考察と訴訟法的考察との違いを繰返し主張されるがそこでも事柄を未成年者労働に関する訴訟追行という問題としてとらえるのではなく、未成年者の訴訟追行一般の問題として論じる態度をとられることは変りがない。

しかし、実体法的考察と訴訟法的考察の違いの如何を問わず訴訟法乃至は訴訟追行が実体法によつて与えられた権利実現の手段(従属的側面)であることは被控訴人といえどもよもや否定されないであろうし、主的側面たる実体法に於て権利行使を警戒され制限されている親権者がなんらの条件の変化もないのに従属的側面たる訴訟法(訴訟追行面)に於ては剥奪され制限された権利を回復すると解すべき根拠は全くない。このことは百歩譲つて、実体法的法律関係と訴訟追行の差異を考慮に入れても尚同様である。被控訴人が未成年者の労働争訟に関する未成年者の訴訟能力を否定しようとされるのなら、被控訴人は先ずこの点について答えるべきである。

四、被控訴人は更に本人訴訟の場合における未成年者と成年者の能力の差は五〇歩百歩であるとの控訴人の主張は最早法律論をはるかに離れた俗論だと主張される。仮りに被控訴人の主張されるように訴訟行為は「種々の攻撃防禦方法を伴いその遂行は複雑にして困難」であり、それにも拘らず、二〇才を超えた所謂おとなによる本人訴訟に於て充分その権利行使が完うされるというのであれば我々弁護士たる代理人は一日も早くなくもがなの御手伝いをやめて正業(?)に就く方が社会の為になりそうである。

五、労働基準法第五八条第二項を論ずる前に当の親権者等が同条第一項によつて未成年者の労働契約の締結に関して代理権能を奪われているものであることが正に問題とされなければならないのであり、同条第二項についても、そのような親権者らであることが、換言すれば右代理権能を否定されなければならないような親権者らであることが、更に言えば子を食い物にするのではないかと心配されなければならない親であることが親権者らの解除権だけでは安心できず(そのような親にはたして同項の解除権の行使を委ねうるかどうか心配な為に)行政官庁の解除権迄も規定しなければならないとされているからである(同旨、吾妻「労働基準法」二三五頁)又労働基準法第五八条第二項は、同条第一項の労働契約に関してのみ、しかもその労働契約が未成年者に不利な場合にのみ解除を認めた規定であり、被控訴人主張のように親権者の権限の強固さを規定したものではない(右規定は事前に同意した親権者らに再度自己批判の機会を与えたものに過ぎず、あく迄も親権者らに対する不信を前提としたものである)。

六、被控訴人は民法第四条第一項但書所定の「単に権利を得」べき行為につき、未成年者は独立した行為能力をもつがしかもこれに関して訴訟を提起する場合には、尚法定代理人によつてのみ為す外ないこと及び準禁治産者は民法第一二条以外の行為については、実体法上は独立した行為能力者であるが訴訟を提起するについては尚保佐人の同意を必要とされていることを援用しているが右二つの場合はいずれも民法内部の問題であり、換言すればこれらの問題については親権者の権利行使が懸念警戒される必要のない場合であるから本件の場合とは質的に事情を異にしているから援用出来る限りでない。

七、労働契約締結については法定代理人には何等の権限がなく締結の許可、不許可の決定のみをすることができるに過ぎない。労基法第五八条第二項による法定代理人の未成年者に不利益な労働契約の解除権は、特に同法上の規定によつて与えられたものであることは右権限者には行政官庁も算えあげられていることにより明かであると考える。従つて労働契約の運命については法定代理人は労働契約が不利益な場合にのみ干渉、関与し得るに過ぎない。未成年者に不利益でない労働契約については法定代理人は傍観する外はないだろう。

労働契約の存否に関する紛争という場合は、未成年者は使用者と労働契約の存否について争がある場合を指すと解釈してよいと考える。未成年者は労働契約が存在すると主張し、使用者は之に反する意見である。こういう場合でなければ紛争は起きない。紛争の場合未成年者は労働契約は自己に不利益でない、有利だと思うからこそ紛争が起きていると言える。未成年者に不利益でない労働契約に法定代理人が関与し得ないのに何故訴訟法上未成年者の提起する訴訟に法定代理人の許可が必要であろうか。民事訴訟法上の未成年者の法定代理人は民法その他の法令に従うものと規定され、法定代理人に代理権限のない場合は民事訴訟法第四九条但書によるものと解するのが当を得たものと信ずる。

八、被控訴人は、親権の濫用が例外的なことであり、その例外的な事態を抑止する立法が為されたからと言つてその例外が原則となることは論理の飛躍であると主張しているが、刑罰規定にしても例外的な犯罪者を処罰する規定である。法規の適用を受ける者が例外的なこともあろう。又全国民又は全国民の大部分ということもあることは法規の性質による。訴訟能力の観念は訴訟法独自の立場から決定すべきものという趣旨を被控訴人は主張しているが、訴訟能力と民法の行為能力とを法律行為と訴訟行為との難易の比較により区別せんとすることは被控訴人独自の見解で、民法の研究と訴訟法の研究の何れが難かしいかという議論と同じものであるし、又民事訴訟法に於ては攻撃防禦の方法を云々して見ても、法律学を専門に特に民事訴訟法を勉強した者でなければ、成年者であろうと大会社の重役であろうと現実に被控訴人が言うが如き訴訟進行上の技術は体得していないであろう。例えば、判例を引用したりするようなことは到底できないであろう。被控訴人の主張は、訴訟行為を人間の社会生活から切離して人間生活の一面であることを忘れたところにその論拠がある。

資本主義では学問にしても職業にしてもその専門化は益々多岐となつてくる。専門の知識経験がなくては裁判もできないと言えよう。その例は鑑定である。成年者でも訴訟提起する場合には弁護士の意見をきいて訴訟提起するであろう。訴訟上の攻撃防禦の方法が難かしいからこそ弁護士という職業が生れる。弁護士でもよいし、訴訟提起についての意見を聞いて又は之を聞かずに、未成年者に訴訟提起の意思決定をする意思能力があれば、労働契約に関して訴訟能力を認めても未成年者の保護に欠けることはないと思う。訴訟遂行が自分にできなければ訴訟代理人に弁護士を頼めばよろしい。金がなければ訴訟救助という方法もある。未成年者だけの意思決定では訴訟に失敗するということになるかも知れないと心配も起きてくる。然し見込み違いは、輔弼の臣に欠けることがないと言われた太平洋戦争の結果にも現われている。成年者の訴訟の見込み違いもあることも想起すべきである。自己がその運命の鍵を握る労働契約について、未成年者に労働契約に関する訴訟行為を認めることは未成年者保護にならないと言えまい。已に締結された労働契約に介入の権限のない法定代理人に、然も労働契約の現実の状態について無知であり且つ被控訴人の求める訴訟遂行上の攻撃防禦の方法の熟達の程度に達していないと一般に推定し得る法定代理人に訴訟上法定代理を認めることが果して未成年者保護になるとは言えないだろう。

九、実体法と訴訟法との統一解釈により訴訟能力を考える理由は、実体法上の権利の主体が訴訟の主体となり訴訟行為を為すからである。

十、訴訟能力について原判決の求めるが如き高度の遂行能力は、大多数の訴訟当事者が持つていないと控訴人は主張しているのである。かかる高度な訴訟遂行能力が未成年者にはないから未成年者に訴訟能力を認めないという判断には反対だというのである。訴訟代理人に弁護士を選任したらという示唆の例をあげたのは、訴訟能力の概念の解釈についての参考として具体的事例を示したに過ぎない。

未成年者にだけ高度の訴訟遂行能力を要求されることが、現実の世界に於ける事例に徴して控訴人には不可解であるから俗論と言われても致し方がない。労働契約に関しては未成年者は成年者と同一と看做すということになれば、一の基準を示していて未成年者の賢愚、男女を問わないから法律論的体裁を具えていないかと控訴人は自惚れている。

第三、労働基準法第五九条に関する反論

未成年者の労働契約については法定代理人は何等関与できないのに、何故法定代理人が労働契約の本質である賃金支払請求訴訟に於て法定代理人とならなければならないか分らない。法律を難かしく解釈適用することも必要だろうが、汗水たらして働く人達には論理学の勉強のような形式的法律解釈により労働者の賃金支払を遅らせて貰いたくない。法定代理人が賃金の支払を受けて、未成年者の賃金支払請求訴訟の提起をやらないということになつたらどうするのか。

第四、民法第八二三条、第八五七条、第六条に関する反論

民法第八二三条第二項には、第六条二項の場合には前項の許可を取消し、又は之を制限することができると規定されているが、民法第六条第二項には職業の文字が見当らない。同法第八二三条第一項には営業という文字はなく職業とある。この二つの異る文字の解釈を矛盾なく解釈しようとすれば被控訴人の如き主張は生れないと信ずる。

第五、船員法第八四条に関する反論

一、被控訴人の主張の如く、未成年労働者の労働契約に関する訴訟能力を否定する立場をとる時、同じく労働契約の締結当事者であり乍ら、船員の場合には訴訟能力者と看做されるのに反し、陸上労働者の場合には訴訟能力を否定されるという矛盾(くいちがいの根拠)を一体どのように説明されるのだろうか。しかも、雇入契約の性質については労働契約以上に多くの理論的な問題が論議されているのであり、雇入契約に関する訴訟の方が陸上労働に関するそれよりも一層進行上の困難が予想されるのであるから、同じ能力を有する者が偶々海上労働を選択したという一事をもつて或は海上労働の特殊性というだけの理由で右違いを説明することは到底出来ないと言うべきである。この意味に於ても被控訴人の主張の誤りは明白である。

二、公認制度が陸上未成年労働者に対する法定代理人の保護並びに労基法第五八条第二項所定の行政官庁の保護の代替物であるとの立論が成立する為には、公認制度が雇入契約の効力を左右出来る権限(例えば、陸上未成年労働者の法定代理人の契約締結同意権若しくは契約解除権)に匹敵するような力を持つていなければならないことは当然である。

三、しかるに通説は右公認の効力について証明説を取つているから、被控訴人の見解はこの点に於いて既に理由がないといわなければならない。(別所成紀「海事法規解説」改訂版、海文堂、一三四頁、山戸嘉一「船員法―解説と研究―」海文堂、一二三頁)。

四、以上の如く、公認制度に雇入契約の効力を左右する力がない以上(尚船員法第一〇一条所定の必要な処分も雇入契約の効力を左右するものではない)、被控訴人の主張は根底から崩れ去るものである。又実質的に見ても、公認制度が、被控訴人の主張する如く、今日甲船を下船して翌日乙船に乗船する急場の法律行為について、法定代理人の同意を得ることが出来ない時間的ギャップを埋めるものであるとすれば、速かろう悪かろうのスラングを援用する迄もなく、その効果に期待することは出来ないのであり、到底未成年労働者の労働契約締結に対する保護の役割を果し得るものではない。

五、更に公認手続の実際を見ても、船員法第三八条に「行政官庁は、雇入契約の公認の申請があつたときは、その雇入契約が航海の安全又は船員の労働関係に関する法令の規定に違反するようなことがないかどうか、又当事者の合意が充分であつたかどうかを審査するものとする」とされていることからも明らかなとおり、公認制度の目的は(1)雇入契約が法令に違反するものでないか否か(2)合意が存したか否か、の二点の審査につきるのであるから、公認制度と労働契約が法令に適合していることを前提にした上で、職業選択の場に於ける未成年者の財産保護を目的とする無能力者制度とは全く異質の制度と言わなければならない。両制度の異質性は、無能力者制度が、契約締結に於ける保護(同意権)の問題(契約締結自由、職業選択の自由の制限の問題)であり、比喩的に言えば契約を締結すべきかすべからざるかの問題であるのに対し、公認制度に於いては契約を締結したか否かの問題であつて、契約を締結すべきか否かは完全に未成年者の自由意思に委ねられており、未成年船員の財産の保護自体は全く考えられていないところに端的に表われている。

六、しかして、被控訴人の主張によつても、前述の如く、未成年船員と陸上の未成年労働者とは判断能力の点に於いて変りはないとせられるのであるから、労働契約締結について、陸上の未成年労働者と海上のそれとを区別して取扱うべき理由は全く存しないことになる。

理由

民事訴訟法第四五条は、「訴訟能力及び訴訟無能力者の法定代理は本法に別段の定ある場合の外、民法その他の法令に従う」旨規定している。民事訴訟法が民法その他の法令に従うのは、実体法上行為能力ある者に訴訟能力を認め、訴訟無能力者の法定代理を実体法に規定する無能力者の法定代理に従わしめることが事柄の性質上自然であるからであつて、この範囲において民事訴訟法は実体法に依存している。労働基準法が右第四五条に規定する「法令」に該当することは明かである。その労働基準法は、未成年者保護と親権者の権利の濫用の防止の立場から、法定代理人に対し労働契約の代理締結を禁止し(第五八条)、未成年者の賃金受領の権限を定めた(第五九条)。従つて法定代理人は労働契約について代理権を有しなく、労働契約の解除についても同法第五八条第二項にもとづいてのみ解除できるだけであつて、同意権を有するに過ぎない。未成年者が法定代理人の同意を得て労働契約を締約した以上、法定代理人は訴訟行為をなすことができなく、未成年者本人が実体法上独立して法律行為を為すことができる場合として訴訟行為をなすことができる(民事訴訟法第四九条)。未成年者が独立して賃金請求の訴訟行為を為すことができることも勿論である。もつとも、労働基準法第五六条第二項が満一五才に満たない児童の使用を認めたことから、満一五才に満たない児童の使用の場合、本人自身が労働契約を締結できる年齢に達したと認めることができるかどうかの問題がある。更に本人自身が労働契約を締結できる年齢に達したと認めることができる場合にも、使用者は満一二才以上満一五才未満の児童の使用については同法第五七条第二項、第五六条第二項により修学に差支えないことを証明する証明書及び親権者又は後見人の同意書を事業場に備え付けなければならないから、親権者又は後見人において未成年者に代つて労働契約を締結出来ないが、右使用について親権者又は後見人の同意が必要である。その同意が書面の備付を要請している法の規定上、満一二才以上満一五才未満の児童は労働契約に関する訴訟について、訴訟行為を自ら有効になすことができるか、法定代理人の代理権が排除されないで法定代理人が訴訟行為をなすことができるかの問題がある。本件仮処分命令の申請人は昭和一八年一月一六日生で同命令の申請は昭和三七年四月二三日であることは本件記録上(本件記録一丁及び三〇丁以下)明白であるから、本件については右二つの問題を生じないこと明かである。

次に未成年者が当事者である訴訟は、法定代理人が訴訟追行をするか未成年者本人が行うかの何れかであるから(民事訴訟法第四九条)、労働契約について未成年者の訴訟能力を否定すると、法定代理人が未成年者のために訴訟を提起しない場合には、未成年者は訴訟による保護を受くることができなくなる。又船員法第八四条に船員となることについて法定代理人の許可を受けた者は雇入契約に関して成年者と同一の能力を有する旨の規定は、船員の生活が主として海上の船内で、陸上の労働者ほど広くないから、雇入契約について行為能力を認めれば十分であること、即ち行為能力の範囲を陸上労働者よりも狭めた海上労働の特殊性にもとづく。労働基準法に船員法第八四条と同一の文言の規定及び被控訴人主張の公認制度のないことから、直に未成年労働者の訴訟能力を否定すべきでない。船員法は労働基準法と異り未成年船員がその法定代理人を通常遠く離れて生活する状態を考慮して規定しているに過ぎないからである。

原審が以上の説示と異り、未成年者に労働契約より生ずる争訟の訴訟能力を有しないとの見解のもとに訴訟能力の欠缺を補正すべきことを命じ、所定期間内に右補正命令に応じなかつたから本件申請を不適法として却下したのは、違法である。よつて原判決を取消し、事件を名古屋地方裁判所に差戻すべきものとし、民事訴訟法第三八八条に従い、主文の通り判決する。

(裁判官 県宏 越川純吉 西川正世)

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